人はいつ死ぬかわからない 明日だってわからない
私は仕事の関係上、若くして亡くなる運命にある人をたくさん見てきた。
若くして亡くなるということは決して他人事ではなく、いつ誰に起こるかもしれない現実の出来事である。皆、それは頭の中ではわかっている、わかってはいるがそれを考えないようにしている。
そのほうが、今日を全力で生きなくていい理由になるから、都合がいいのである。
そして誰しもが、明日は必ずやってくると信じている。
だから、今日できないことを明日に先延ばしする。来週に、来月に、来年に。
先延ばしをして、今全力で生きる苦しさから逃れ、楽しようとする。
「いつかできたらいいね」
「いつか行けたらいいね」
「いつか会えたらいいね」
その「いつか」って、いつですか?
2,000万円どうやってためる? 老後ばかり考えていて、楽しいですか?
今世間では、「老後を豊かに暮らすには、最低でも2000万円必要である」と政治家が発言したニュースが話題になっている。老後資金をいかにして貯めるか、増やすか、年金は支給されるのか。老後の生活にばかり目が向いている。
もちろん老後を謳歌するためにはお金が必要だ。
若いころ「浪費」して、老後は貧しく暮らせと言っているわけではない。
日本では年金問題もあるせいか、とりわけ老後の生活に対する問題提起がいたるところで起こっている。
では、若い年齢の時代に、どう過ごすのかについてピックアップされることはあるだろうか?
やりたいことを我慢して老後に備える
行きたい場所に行くのを我慢して老後に備える
本当はやりたかった職業に就くのをあきらめて老後に備える
我慢ばかりしてきた人生の道半ばで亡くなる運命にあると知ったら、あなたはどうしますか?
死ぬ間際、十分に生きたと思えますか?
「浪費」と捉えるか 「自己投資」と捉えるか
日本人はお金を使うことを「浪費」だと捉え、お金を稼ぐことは「卑しい」ことだと捉える傾向にある。実際に、自分の年収を大っぴらに公開する人は少ないし、お金持ちが浪費していることを揶揄したりする。
しかし、お金を稼ぐことは「卑しい」と思いつつも、お金は大好きなのである。
お金持ちのことは大好きだし、うらやましいし、タダでもらえるなら今すぐにでも欲しい。
もう、「言ってること」と「やってること」がめちゃくちゃだ。
お金を使うことを「浪費」だと捉えている人は、「自己投資」にお金を使いたがらない。
「自己投資」はしたい、でもお金は使いたくない。
だから誰かが「無料で」与えてくれるのをただひたすら待っている。
「世間」や「世論」や「世界」が変わるのを、ただひたすらに待っている。
「老後」のために生きているのではない 「今」を生きるために生きている
冒頭でも話した通り、私は若くして亡くなる運命にある人を何人も見てきた。
先日も、年齢の近い同僚が亡くなった。悪性腫瘍だった。
もし自分が同じ運命にあったら、「我が人生に一片の悔いなし」と思えるだろうか?
老後の為に貯めたお金が使われない日が来るかもしれない
老後にやろうとしていたことが病気でできなくなるかもしれない
私はそんな「かもしれない」のために、今の人生を我慢したくない。
だから、行きたいところに行くし、やりたいことはやるし、買いたいものは買う。
自分を求めてくれる人の役に立ちたいし、方法がわからなくて損している人も助けたい。
だから私は、この「こもれびすぺいす」を立ち上げた。
私は全力で、生きずらい世の中を生きる人々にギブをしていきたい。
それが私にとって幸福であると確信している。
おわりに
まさにこの瞬間を生きている誰しもが、生きているのは「今」であり、全力で進むべきは「今」なのである。
この記事を読んで、あなたの人生に何か変化がもたらされれば幸いです。
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