今日からできるギブ アンド ギブ 難しく考えずに今出来てることを認めよう

今日から出来るギブアンドギブ
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前回、ギブ&テイクを捨てて、ギブ&ギブをはじめようという記事を書きました。

これを自分のTwitterに挙げたところ、大変反響をいただきました。

しかし、反響が大きい中でこのような意見が多く聞かれました。

「今までギブ&テイクばかりだった自分を振り返り、反省しています
「耳の痛い話でした。自分にはまだギブが出来なさそうです」
「これから、自分に何ができるか考えてみたいです」
前回の記事は、自分の気持ちを素直に書いただけだったので、読んだ相手に対して「反省してよね!」と思って書いたわけではありませんでした。しかし、上記のように受け取った方が多数いらっしゃったようです。
ですので今回は、「自分にはまだギブ&ギブの気持ちで人と接するのは無理だな!」と思った方に対して記事を書こうと思いました。
ギブ&ギブは、決して崇高な考え方ではありません。
自分の行動を見直してみませんか?
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今日からできるギブ アンド ギブ 難しく考えずに今出来てることを認めよう

挨拶はギブになる

朝一番の「おはようございます」の挨拶だけで、なんだか嬉しい気持ちになりますよね。
ならない人は、その挨拶に気持ちがこもってないからかもしれません。

心の底から圧倒的なギブの精神をもって「おはようございます」を言ってみてください。
挨拶をされて、嬉しくない人はいませんよね?

例え相手が返事を返してくれなくても、返事しないのは相手の問題であって、あなたの問題ではありません。ですから、返事をしてくれなくても、無理やり返事を求めてはいけません。
あなたは挨拶を相手にすることによって、挨拶を返すという機会を相手に与えただけで、無理に返事を求めるのはギブ&テイクの考え方です。

また仕事終わりの、「お疲れさまでした」もいい挨拶ですね。
今日ともに一緒に働いて疲れたね、頑張ったね、の意味を含んだ「お疲れさまでした」です。

挨拶は一番簡単で、一番短い言葉で伝えられるギブです。

応援はギブになる

誰かが何か困難なことに挑戦しようとしている時
誰かが病気と闘っている時
誰かが前人未到の偉業を成し遂げようとしている時

「頑張れー!」って応援したくなりますよね。
「応援してるよー!」って言いたくなります。
でもそれを言葉にすることって、なかなかないかもしれません。

例えば、あなたが大好きなイラストレーターさんがいたとします。
いつも可愛い絵をアップロードしていて、あなたはいつも「なんてかわいい絵を描く人なんだろう、すごく好き!!!」と思っています。

そんな人が突然、「引退します」と言い始めました。あなたは「なんで!?フォロワー数も10万人いるのに!?」「私もいつも楽しみにしてたのに!!」と思いますよね。

でもそのイラストレーターさんがアップする絵には、「いいね!」はいっぱいつくけど、コメントがほとんどついていなかったのです。あまりにもフォロワー数が多かったせいか、「恐れ多い」と思ってコメントをする人がいなかったのです。

イイね!が応援だと捉えられる人もいれば、コメントがつかないことで孤独を感じる人もいっぱいいます。数字が応援だと捉えられる人と、捉えられない人がいます。やはり一番響くのは、生の声だと私は思います。

「あの人はコメントしても返事を返してくれないから」という理由でコメントしないのはギブ&テイクの考え方です。コメントはきっと読んでくれているはずだから、返信がなくても応援しよう、そのくらいの心意気で大丈夫です。

また、「応援してればいつかいい仲になれるかも」という邪な気持のギブも、純粋なギブではありません。「応援してやったんだから、ちゃんと対価を払え」というギブ&テイクの考え方は、「金を払ったんだから俺はお客様だぞ」と言う無礼な人と一緒です。

話がそれました。
あなたが応援したい人には、ちゃんと応援を形にしましょう。
形にならない応援は、応援とは呼べません。

「推しは、推せる時に推せ」とは上手いことを言った人がいますが、その通りだと思います。

なお、心の病などで「もう100%、いや120%頑張ってる人」の場合は、「頑張れ!」が負担になるので、その場合は次の共感でギブしてくださいね。

共感はギブになる

「共感」は圧倒的なギブに最適だと私は思っています。

相手は何か悩みがある時、「共感」「解決」を求めます。

「わかる、私もそうだったよ」という言葉に、相手は「自分だけじゃない」ことへ安堵します。

「わかる、そういう風に考えちゃうこともあるよね」という言葉に、相手は「わかってくれる人がいる」ことに安心します。

「あなたの苦しみは、私には到底わかりきれないけど、あなたの痛みに寄り添いたい」という言葉に、相手は「思ってくれている人がいる」と思って心強く思います。

より強い共感は、「同じ経験をした人」が理解を示すことです。

ただ、成長を伴う経験の場合は、初心を思い出すのが難しくなるのも事実です。「昔は俺も毎日つらかったけど、今こうして何とかやってるから大丈夫大丈夫!」という、具体性に欠けた共感に似た応援は、相手に響きません。

相手がつらいことを聞いて、まずは肯定的に共感することから始めてみてください。
聞くだけでいいことも、世の中にはたくさんあります。
「そうだよね」「つらかったんだね」とオウム返しするだけで、心が救われることもあるんです。

そこで無理に解決に向かおうとすると、相手は拒否反応を示す場合があります。
私のようにお節介焼の人はお気を付けください。

相手に興味を持つだけでギブになる

「あなたは自分のことばっかりだよね」と言われたことがある人はいますか?

「あの人は本当に優しいよね」という人が周りにいますか?

いわゆる「自己中心的」な人と、「優しい人」の違いって、どこにあるのかというと、私は他人への興味が有るか無いかだと思っています。

他人への興味がある人は、「他人が困っている事」「他人が好きなこと」にとても敏感です

「あの人が欲しいと言っていた〇〇がここに売っている、教えてあげたら嬉しいかな?」とか、「今日後輩が元気なさそうに見える、何かあったのかな?」とか、別に他人が自らアピールしていなくても気づけるように自然と思考できています。

ただし、自己犠牲を伴うギブはあなたを破滅へと向かわせます。

自己犠牲を伴わない範囲で、ギブするよう心掛けてください。

自分の時間を犠牲にしたり
お金を貢いだり、貸したり
自分に不利益なことばっかりする相手にギブしたり

そういうのは、ギブではありません。
何のためにギブするのか、それは回りまわって自分自身に対するギブになるからです。

「情けは人の為ならず」ということわざには、「自分の為なり」という続きがあります。
「情けを掛けることによって、回りまわって自分に返ってくるよ」という意味です。
(「情けを掛けると他人の為にならないからやめなさい」という誤った使われ方もしますが、本来はこのような意味です)

相手を想うだけでギブになる

最近見かけないあの人、元気でやってるかな?

元職場で仲の良かったあの人、今も働いてるのかな?

新しいことを始めるぞ、って言ってやめてったあの人、うまくいってるのかな?

なーんてこと、考えたりしませんか?
私はふとした瞬間に、考えたりします。

よく、社会人になったのを機に子どもが上京して、親に全く連絡もよこさない。帰って来もしない。「元気でやってるのかしら?でも便りがないのは良い知らせなんていうし、元気で働いてるんでしょうね」なんて話、良く聞きますよね。

この親心こそ、無償の愛であり、テイクを求めないギブの心だと思います。

たまに連絡をしたものなら、「あんたもうちょっと連絡よこしなさいよ」と言われて、少し煙く思いつつも、親はちゃんと思ってくれてるんだなと安心するはずです。

親子関係でなくても、友人に久しぶりに連絡したりなんかすると、「どうしてるのかなーって思ってたんだよ」って言われるだけで、なんか嬉しい気持ちになりますよね。

ギブって、こんな些細なことでいいんです。

もちろん、相手に対して思ったことをアクションに起こすのが一番伝わります。しかしこれが過剰になると、「連絡したのに返事もくれない。こっちは心配して連絡してやってるのに、あいつはなんなんだ」とテイクを求める感情にシフトしていきます。

忘れないでいただきたいことは、「私が好きで想っているだけで、相手が返事を返してくれるかどうかは相手次第」だということです。

相手を見守るだけでギブになる

実は見守るって一番難しいと私は思っています。
何故なら、わかっている自分でやった方が一番早いということを知っているからです。

でもそれって、相手が経験して学ぶ機会を奪っているんですよね。

例えば仕事で、あなたはとあるプロジェクトのチームリーダーです。
あなたの下には、経験の浅い後輩が3人ついています。

1週間後までに、プロジェクトの企画書を提出するようにと上司に言われました。

あなたは、後輩のうちの一人に、企画書を書くように指示しました。
「企画書を書くのは初めてだと思うけど、とりあえず書いてみて」と任せてみました。

4日後、出来上がってきたのは、およそ企画書とは呼べないようなすごく内容の薄いものでした。
提出にはあと3日しかない。困ったあなたは、「企画書ありがとう、あとは僕が直しておくから」と言って、ほぼ最初から企画書を作り直し提出しました。

仕事において、「期日を守ること」「質を上げること」「後輩を育成すること」という相反する難しい問題に直面します。特に、時間がタイトに進行する仕事の場合は「後輩を育成すること」が後回しになりがちです。

自分でやった方が早いから、全部自分がやればいい。
そう思って、仕事を抱えまくっていた時期が私にもありました。
しかし今は、ある程度分担して、他人に任せることができるようになりました。

この話は長くなるのでまた別記事で書こうと思います。

つまり、相手に任せて見守ることができない人は、相手の経験する機会を奪って、何が良くて何がダメなのか、わからなくさせていると言うことです。

子育てでもそうですね。子どもはいろんな経験を積んで理解していくものです。

触ったら痛いもの、食べたらだめなもの、着替えの仕方、ごはんの食べ方、言葉の意味、全てが経験を経て学んでいくのです。危ないからダメ、それは食べられないからダメ、転びそうだから着替えを手伝ってしまったり、言葉の意味を子どもが納得のいくまで教えなかったり、そういう機会そのものを奪うことで、子どもは学ぶ機会を失っていきます。

大人から見てあぶなっかしいことでも、最低限危険を回避できるように準備をしておいて、見守ること、これは一番難しく、そして愛のあるギブだと思います。

子どもがいない方は、子どもを部下に置き換えてみてください。言ってる意味は一緒です。

質問を投げかけるだけでギブになる

質問は、相手に興味が有りますよと伝えるのに最適なギブです。

講義などで、「最後に質問のある方はいらっしゃいませんか?」とか良く聞かれますよね。
講義する立場からすると、質問が出ずにシーンとしている時は「今日は相手に伝わらなかったんだな」と思います。

質問をするほど価値がなかった、感動がなかった、深く理解できなかった、そもそも聞いてない、興味がない…

質問が出ないと言うことは、そういう捉え方をされかねません。

しかし質問する立場にしてみたら、質問するのは恥ずかしい、目立ちたがりだと思われたくない、「それさっき言いましたよ」と言われたらどうしよう、などと色んな事がめぐりめぐって、質問しないだけかもしれませんよね。でもそれって、相手には伝わらないんです。

質問をするということは、あなたに興味が有りますよ、あなたを認めていますよ、っていうのと一緒なんです。

普段の会話の中でも、他人に対して質問を投げかけることってありますよね。

「こないだ京都に旅行したって言ってたよね。ちょっと聞きたいことあるんだけどいいかな?」
「料理が上手って聞きました。新しいフライパンを買おうと思ってるんですけど、おすすめありますか?」
「こないだも、ここのBARでお会いしましたよね。いつもこの時間に来られているんですか?」

最後のは私の妄想ですので気にしないでください(こんなドラマみたいな出会いってあるんですかね?)

質問された相手は「自分に興味がある」ということを「質問されたという事実」から受け取ります。
ただし、誰でもわかること、調べればすぐに答えが出ること、答えがない質問、そういうのは相手へのギブにならない質問です。
相手だからこそ答えられる質問を、ぜひ投げかけてみてください。

一緒にいるだけでギブになる

「あなたがいてくれてよかった」っていう歌、結構ありますよね。
(ここに歌詞を書くと著作権的にまずいので書きませんが)

辛いときに、一緒にいてくれるだけで支えになることって、あるんです。

風邪で辛いとき、病気で苦しいとき、助けてくれなくったっていいんです。優しい言葉をかけてくれなくったっていいんです。解決策を導き出せなくたっていいんです。

ただそこにいてくれるだけで、支えになることっていっぱいあるんです。

癌の末期の患者さんなど、もう何もしてあげられない状態になっていきます。
それでも、ただそばにいるだけで、手を握ってあげるだけで、支えになるんです。

人の手のぬくもりって、絶大な効果を発揮します。
大丈夫だよ、そばにいるよ、って言わなくても伝わります。

周りにそういう人がいない、自分は孤独だなって思っている人がもしネットの向こうにいる人だったら?

声をかけてあげてください。いいねしてあげてください。
隣にはいないけど、あなたのことをずっと見てるよって、発信し続けてください。

現実世界では隣にいないけど、あなたのことを見守ってるよって発信すれば、それはそばにいるのと同等の効果を発揮すると、私は信じています。

自分を大事にするだけでギブになる

自分の好きな人が楽しそうだと、自分も楽しくなりますよね。

自分が元気なだけで、誰かのギブになっていることもあるんですよ。

がむしゃらに働いて体壊したり、病気なのに受診しないでほおっておいたり、健康診断受けなかったり。そういう姿を見せていると、少しずつ誰かが傷ついています。

そして本当に自分が身体を壊した時、相手はさらに傷つきます。
「私がもっと強く勧めていれば、こんなことにはならなかったのに」って。
自分が勝手にやったことなのに、相手が傷つくんです。これはすごく良くない。

自分を大事にしている姿を見せることで、誰かのギブになっています。
しかも自分を大事にすれば、自分も誰かにギブができるんです。

こんなにwin-winなことってあります?
自分の体は一つしかないので、大事にしてくださいね!

まとめ

今回は、簡単にできるギブについて私の持論をまとめてみました。
実はいっぱいギブしてるっていうことに、みなさん気づきましたか?
そう、普段の生活の中で、ギブしてるんですよ、実は。それに気づいてないだけなんです。
出来ていないことに目を向けると、「どうして自分はできないんだろう」の沼に落ちていきます。
もっと出来ていることに目を向けて、自分を認めていきましょう!
そしてギブ&ギブの精神を広めていっていただけると嬉しいです^^
前回の記事をもう一度読んで復習したい方はこちら
私の考えのもとになっている、アドラー心理学の本はこちら

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