警察官を挑発する動画が問題に 人は何故、悪質動画を投稿するのか

悪質動画
スポンサーリンク

今動画投稿サイトにて、警察官を挑発する動画が問題になっているというニュースが話題になっています。

 

近年、このような悪質な行動をあえて動画に撮影して、インターネットに上げて炎上するという行為が後を絶ちません。アルバイトによる炎上動画なども、頻繁に問題になっていますね。

このような動画をあげることにより、内定が取り消されたり、個人情報が流出したりと、いいことはひとつも無いのに、どうして若者はこのような動画をあげたがるのでしょうか?

今回はこのテーマを人間の心理とはどのようなものなのか、丁寧に紐解いていきます。

人は何故、悪質動画を投稿したがるのか

悪質動画を投稿する人の心理を考えることで、得られること

まず、何故悪質動画を投稿するのか?を紐解くことにより、私たちが得られることがたくさんあります。

それは、「ぱっと見、無利益に見える行動を、なぜ人はあえてするようになるのか」がわかるようになります。

自分がそういう傾向にある人や、そのような行動で被害を受けている方、子どもがやっていて困っている方など、身近に起こりうる出来事である可能性があります。

悪質動画にとどまらず、ちょっとしたいたずらをする人が嫌がることをあえて言う、危険行動をする、法に反することをあえてする、なども、基本的には同じ考え方だと思います。

そうなると、視点の幅が広がりますよね。

是非他人事ではなく、自分のことだと思って読んでみてください。

「頭が悪いから」「目立ちたいから」では何の解決にならない

悪質動画を投稿することによって、会社の株が暴落したり、自分自身が解雇されたり、内定が取り消されたりしていますよね。たった1本の動画投稿によって余波がいろんな場所に波及していきます。

そこを「頭が悪いから」後先考えずに投稿してしまうんだ、とか「目立ちたいから」ついついやっちゃうんでしょ、とか、現象を見たままの短絡的な捉え方で終わってしまっては、何の解決にもなりません。

「頭が悪くて目立ちたがり屋」の人は、悪質動画を投稿してしまう、馬鹿だね~、で終わってはいけないのです。

 

そこには、表面上には出ない人間の心理が必ず隠れています。

 

人間というものは、何らかの目的を達成するために行動を起こす生き物であるという考え方から、悪質動画を投稿するにも何かしらの目的がある、と考えてみましょう。

その目的が何かを考えることで、私たちは様々なことを学ぶことができます。

悪質動画を投稿する目的は「承認欲求」を満たすため

他人に認められたい

他人に認知されたい

他人にすごい人だと思われたい

他人に「あいつヤバイ奴だ」と思われたい

これは全て、承認欲求です。

この承認欲求というのは、人間が本来、持ち合わせている自然な欲求です。

アドラー心理学では、「承認欲求を否定するところから人の自由は始まる」と捉えますが、自然な欲求なのでなかなか否定することは難しいところではあります。

悪質動画を投稿すると、承認欲求が満たされます

周りの人間には英雄扱いされ、動画再生数で認知度が高まり、動画に対するコメントで「こいつはヤバいやつ」だと賞賛されているように感じます。

今まで平凡だった人生から、一気に人気者になったような気分を味わえます。

人はどんどん強い刺激を求めたがるのでエスカレートしていきます。最初は小さなことだったのに、だんだん大胆になっていくのです。

承認欲求を満たすための行動として何故、悪質動画を選ぶのか

そもそも承認欲求というものは、様々な人間関係から得られるものです。

その承認欲求が物足りないと感じているか、他のことでの承認欲求を得ることをあきらめた人が、このような短絡的行動に移すと考えられます。

基本的に根底にあるのは、他者との関係から生まれた劣等感です。

勉強ができない
運動ができない
モテない
愛されていない
お金がない
自由がない

そんな承認欲求が満たされない状態にいる人は、何かで承認欲求を満たそうとします。

そして一時的な承認欲求を満たすために、悪質動画を投稿するのです。

ここで「一時的な」と表現するのは、結局人の関心なんていうのはすぐに薄れてしまうからです。

他人の関心が薄れていけば、また承認欲求を満たす方法を考え始めます。そうやってどんどんエスカレートしていきます。

 

今回の警察官への挑発動画も、最初はただの一般人とかだったかもしれませんね。だんだんその対象がエスカレートしていき、最終的に行き着いたのが警察官だったのでしょう。

ちなみに警察官への挑発は、公務執行妨害に該当する可能性があるので、最悪逮捕されますよ。お気を付けくださいね。

結局、承認欲求を追い求めていると幸せになれない

承認欲求という他人ありきの欲求を常に追い求めていると、行動の判断基準が「他人に認められるか、認められないか」の二択になっていきます。

他人に褒められることはやるけど、褒められないことはやらない

他人に認知される行動はするけど、認知されない行動はしない

他人にすごいと思われることはやるけど、しょぼいと思われることはやらない

他人にお礼を言われることはやるけど、お礼を言われないことはやらない

すべての行動をするか・しないかの判断基準が、「他人」にどう思われるのかにすり替わっていくのです。

 

そんな人生、どうですか?なんかつらそうじゃないですか?

これは以前書いたギブ&テイクの記事にも書きましたので、参考にしてください。

まとめ

悪質動画の投稿を紐解くことによって、以下のことがわかりました。

悪質動画投稿の目的は、承認欲求を満たすことである
承認欲求を追い求める人生は幸せかどうか、今一度考えるべきである
承認欲求を満たすとは、ギブ&テイクを追い求めることである

今後も、話題のニュースなどを取り上げていきたいと思います。もし気になったニュース、どうしてこういう行動してしまうの?などありましたら、コメントしてくださいね!

はてなブックマークも読んでますので、はてブもどうぞよろしくお願いします^^

コメント